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− 推して、推して、推して、推して、推して、紡いでいく − 企業広報のマインドセットについて考えてみた

私事ですが、今年の秋に、広報職に戻ることになりました。
前の部門での仕事は「やりきった」と胸を張って言えるわけではありませんが、個人的には非常に良いチャレンジをさせていただきました。元々は広報職として採用されていますし、いつか戻る日は来るとどこかで思っていたのが今だっただけで、現在は日々全力投球で楽しくやっています。
異動してしばらく経ってしまいましたが、改めて一度離れたからこそ見えてきた「広報のマインドセット」について、感じたことをまとめてみました。
※あくまで個人的な所感で、所属先の広報活動の見解ではございません。
はじめに ─ #PRFunhoアドベントカレンダーより広報との距離と、Barで感じた違和感究極の「推し活」である企業広報「広報特有のロジック」から飛び出す覚悟私の推しとして会社を推し続け、熱狂を紡いでいこう
はじめに ─ #PRFunhoアドベントカレンダーより
広報との距離と、Barで感じた違和感
実は前の部門にいた期間も、業界団体の広報のお手伝いをしたり、会社のフェーズに合わせて業務の一部を担うことはありました。しかし、あくまで軸は前の部門の仕事。広報という職種とは意識的に距離を置き、「余力があればお手伝いする」というスタンスをとっていました。
それが再び本腰を入れることになり、「今の広報の世界がわからない、どうしよう」と戸惑っていたタイミングで、PRFunho発起人であるMartinさんの投稿を見て思わずコロナ禍前に存在していた「PRFunho Bar」という名の交流の場を再開してみました。
そこで多くの広報さんと接し、広報の今を知ることができた一方で、ある一つの「違和感」を覚えました。それは、どこかしこで会社に対するネガティブな意見が飛んでいたことです。
「なぜ、あなたの会社をどこまでも肯定できないのだろうか」
自分はどうやら浦島太郎になってしまったのか。復帰当初はそんなことを思いながら仕事をしていました。
究極の「推し活」である企業広報
馬鹿みたいに聞こえるかもしれませんが、私は「会社の良さを広く伝えることこそが企業広報の仕事」だと信じています。 他人がどういう動機で広報になったかは分かりません。でも、あえて嫌いな会社の広報を志願する人なんて、そうそういないはずです。そう思うと、どんな手法であれ「良さを広く伝えること」が、すべての企業広報の根底にあるはずなんです。
誰かがこの会社について何を言おうと、あらゆる側面から価値を探し、伝えていくこと。タイムリーなことでも、未来的なことでも、俗っぽく言えば「その会社を推せるか」が広報の価値のすべてだと思うのです。
もちろん企業広報はビジネスであり、純粋な趣味とは異なります。しかし、「それでも推せる強さ」「推しを世に知らしめる執念」こそが、人を動かす源泉ではないでしょうか。
今年話題になった朝井リョウさんの著書『イン・ザ・メガチャーチ』にも、現代における「推す」ことの意味が生々しく描かれています。 作中にある通り、現代において人は機能やスペックと並んで、信じられる物語を求めています。そして、その物語に自らを薪のようにくべ、熱狂することに喜びを見出しています。
その「熱狂」の正体を、私自身、ヲタクとして足繁く通っていたAKB48黎明期の現場で見てきました。 当時、私の友人が熱心に応援していたのが、SKE48の須田亜香里さんです。私は別の方を推していたこともあって、若かりし頃の彼女に対して、失礼ながら「明るい子」という印象しか残っていないです。しかし、友人をはじめとするファンの皆さんが、彼女の握手対応の凄まじさやダンスの素晴らしさを熱心に語り続けたことで、その熱が伝播し、彼女は一躍中心メンバーへと駆け上がっていきました。 運営の仕掛けもあったでしょう。しかし、間違いなく土台にあったのは「誰よりも彼女を信じ、推し続けたヲタクたちの熱量」でした。
広報の仕事とは、まさにこの「信じられる物語」を、社会の中に築き上げることではないでしょうか。
その中心となる広報が推さないと誰が推すんでしょうか。広報がこの会社が世間の注目を集める会社になると思わないで、誰が思うんでしょうか。物語を紡ぐべき当事者である私たちが、自らの紡ぐ物語を信じられなくて、誰が熱狂してくれるのでしょうか。 そうした意味で、企業広報は究極の「推し活」と捉えることもでき、その熱量と向き合い方が何より重要だと感じています。
そう再認識したとき、私がやるべきことは「PRFunho Bar」のような場の運営よりも、まずは泥臭く会社と向き合う時間を作ることだと考え、毎日出社し対話を重ねたり、空気感を掴む方に時間の使い方を根本から変えていきました。
「広報特有のロジック」から飛び出す覚悟
ランチにいったり、SNSを頑張ったりする広報界隈特有の風習ってあると思うんです。それ自体は悪いことではないと思います。しかし、あくまで広報界隈での話であって「それを評価せよ」と会社に押し付けるのは違うと感じています。
「広報は広報の世界に生きがちではないか」
そんな疑問を自分自身にも投げかけています。短期的な成果、中長期的な視座、広報に求められる色んな目標があると思いますが、それらは全て正解であり重要なんだと思います。そして最も大切なのは、その目標に至る背景として会社や事業、経営者に向き合うこと、取り巻く環境に向き合うことなのかと感じています。
理解されないと嘆くのではなく、理解されるまで向き合う。
そこを諦めずにやり切るのが企業の広報の強さになるんじゃないと感じています。
広報というコミュニケーションを生業とするこの仕事に、プライドを持てるのか。営業やマーケティングに劣らない価値を見出せるのか。そこを突き詰めてこそ、広報が広報足る、本当の価値が見出せるかもしれないな、と思うんです。どの経営機能にも引けを取らないバリューを作るんだ、という気概を持てないと、経営における広報機能の価値は見出せない気がします。
広報は会社と社会の結節点とよく言われます。社会の価値観も会社の価値観も全て背負い、世の中に旗印を立てていく。常にバランスを取り、短期も長期も考え、企業内にいるから起こる無理難題にも向き合う。それが企業における広報の存在価値であり、やりがいじゃないかなと私は感じているところです。
私の推しとして会社を推し続け、熱狂を紡いでいこう
私は、推しに理解されなくても推せるくらいの気持ちで会社と向き合っています。会社が逆風に立っても、それを押し除けるくらいの気概を持って、広報という仕事に戻ってきました。この数ヶ月、リリースとか、リレーションとか、スキルとしての諸々で何が必要なんだっけということも考えてはいましたが、マインドが何より大事なスキルの1つなのではないかと思い、あえてこの切り口でアドカレを書いてみました。
私はいろんな人との対話から広報としてのマインドを再認識できた、という意味でBarを起案したことは良かったなと振り返っています。
現在はFunhoの運営に関わる余裕もないくらい自社の広報に向き合う毎日ですが、もし次にBarをやることがあれば、参加した人が「推しを輝かせていこうぜ」という前向きなマインドを持てる空間を作りたいです。1つでも多くの熱狂できる材料を来年も紡げるよう、会社と徹底的に向き合いながら、自分自身も精進していきたいと思います。